生き残れなかったエンジニアとは?エンジニアとしての死とは?

http://slashdot.jp/askslashdot/article.pl?sid=08/03/16/041249

表現力とは、例えば図面を書く能力であったり、コードを書く能力であるのですが、それだけではなく人に物を伝える能力や統率力も含まれます。
図面を書いたり、コードを書く直接的な表現力は、歳を重ねるごとに絶対的(手が遅くなるとか、直感的な思いつきが減って考える時間が増えるとか)・相対的(新しい手法をもった若手が増えることで、結果的に同じ事を表現するのに時間が掛かるようになったり、そもそも新しい環境向けたハード・ソフトを設計できなくなる)に失われていきます。

http://slashdot.jp/askslashdot/comments.pl?sid=393811&cid=1313966

これはないと思う。やっぱりずっとコードかいてる人はどんどん効率のよいコード書くようになって開発効率はよくなるから。20年以上パソコン触ってきた人に聞いてみるといい。「あなたの10年前のコードは見れたものですか?」と。ほとんどの人は「10年前はひどいコードだらけだよ」というはず。

やる気のない未経験者3人連れてくるくらいなら、ある程度のベテランを使い捨てにしないでしっかり育て上げたほうがいいよね。

でも引用と同じような勘違いによってずっと使い捨てにしてきた。プログラマという職種の上にSEというなぞの職種が存在して、人を管理するようになれ、と。とある会社の新人君から「早くプログラマを卒業してSEになりたいです!」という抱負を聞いたときは、会社の洗脳は成功してるんだなぁとかおもった。


ただ、ちゃんと勤務時間で勉強させないとダメだと思うけどね。この業界ぶっちゃけ勤務時間外での勉強してる人に頼りすぎだと思う。

「使い捨て」というのは常に忙しい、忙しいと日々の開発だけで新しい技術を勉強させないことによって、技術者の価値を年々さげていくこと、とおいら的には定義してるけど。