今までどのくらいプログラミング言語を触ってきたか(3秒で飽きたものも含む)

http://d.hatena.ne.jp/bleis-tift/20090508/1241750938

時系列に何歳くらいのときに何を触ったかというのがあると面白いですね。id:bleis-tiftさんはおいらとおない年(といわれている)なのに12年くらいずれてるような気がしないでも無いですが。気のせいですかね。

自分の場合を書いてみたいと思います。とりあえず触れたということでいいらしいので。

小学5年

中学1年

中学2年

  • SC-3000 BASIC

中学3年

  • N88 BASIC
  • N BASIC

高校1年

  • N88 BASIC(86)
  • X-BASIC

高校2年

専門1年

専門2年

  • TurboC(?)

社会人1年

社会人2年

社会人3年

社会人4年以降(たぶん触れた順番)

抜けが多いと思うけど(゚ε゚)キニシナイ!!

記憶はさすがにあやふやで順序はあてにならないと思ったのですが、どうもそのあやふやなのはこの10年くらいの言語であってそれ以前はわりとはっきりと覚えているのが面白いところ。

Access BASICとかありますけど、このころはVBAじゃないんですね。その後もVBAよりもOLEオートメーションでC言語からいじるほうが多かったですね。

Object PALってのはもっとマイナーでパラドックスというDBで使う言語です。データベースに触れたのは最初がAccess…といいたいところですが、RDBとしてはじめてなのであって、その前にはカード型DBさわってました。当時としてはスタンダードなものだったと思います。基本的に単票をそのまま保存していくというスタイルです。PCでRDBなんて気が狂ってる、無茶すぎるとしかいえない時代ですね。あほみたいにメモリとCPU食うので。それでもWindowsNT 3.5と組み合わせるとWindows 3.1とは別次元の安定度でした。でも、メモリもCPUも弱い時代でしたからNT系のフットプリントが重すぎです。バランスがよくなったのは4.0が出てからでしょう。NT4.0は今でも使われている場所はものすごくあると思います(最近もNT4のお話がきた)。

当時はいわゆるDOS/VマシンとしてAT互換機が大量にでてきましたけど、オンボードメモリが搭載されるのが普通で、オンボードメモリのおかげで中途半端な容量(8MB*2+4MBとかで20MBとか)でした。Pentiumは馬鹿でかくて高くて、バグもちで発熱がすごいのでデスクトップ向きではありませんでした。とはいえ同クロックの486DX2よりはさすがに早いのは分かりましたがDX4との勝負では結構コストパフォーマンス的に分が悪そうでした。後に75/90/100MHzが出たあたりで扱いにくさは大幅に改良されれ一般的なCPUになっていきます。それまではXeonみたいな感じでしたね。


C言語はじめたときはANSI標準化前のやつですし、C++も標準化がまだされてないときでした。つーか、BCBという時点でDelphiに合わせるための拡張が全開でしたね。ずっとボーランド系できてます。MSのを触ったのは比較的最近のことです。ですからMS系は使い勝手がよくわかりません。

こうしてみると触った言語少ないですね。特に社会人になってからなんて仕事はC++Javaで95%以上を占めてる気がします。どちらも基本文法はCであることを考えるとやはりプログラミングの基礎はC言語であって、この言語はC++Javaが消えたとしても生き残るのだろうなぁという気がしてます。


N-BASICさわったときはもちろん長残光グリーンディスプレイなので、なんかLISTをスクロールさせていただけで眠くなったのを記憶しています。CRTもダイヤモンドトロンとかトリニトロンが普及してからは垂直同期周波数75Hzとか普通だったのですが、このころのは超短残光なのでレトロなマシン(55Hzが多い)触ると結構目がちかちかするんですよね。液晶の適度に残る残像はある意味レトロPCと相性がいいかもしれないです。

つーかグリーンディスプレイ知らない人のほうが多いか。データレコーダでカセットテープが回ってるのを知ってるのもレアなのかなぁ。つい9年位前にはデータレコーダが動いてる基幹となるシステムがあったのを目の当たりにしたけど、さすがにもうなくなってるかな。

SC-3000 BASICはセガMKIIIあたりでBASICカートリッジ+キーボードで触らせてもらった。スペックがMSXと非常に近いのでさくさく触れた。でもMKIIIの機能までは使えないんだよね。あくまでもSG-1000/II/SC-3000クラスまで。LEVELはいくらだったかは忘れた。

といういつもながらの昔話になりましたとさ。