アウトプットとインプット

http://d.hatena.ne.jp/nowokay/20090805#1249437227

きしださんはなぜかプリンねたばかりでそろそろプリンあきたのかな。プリンはおいしいと思うけど購入しない筆頭ですね。10年以内に1度は食べたと思いますが、最後に口にしたのはいつだったかおもいだせない…。そんな人ばかりだと思います。


きしださんのblogみてる人はおいら調べによると90%は小学生からPC触っている人です。残りのうち5%分がナイコン族です。そして残りの5%は中学生からPC触り始めた人だと思います。高校生以上になってから始めた人はいないようです。

もちろんみんなハンドアセンブルしていて、アセンブラを持ってる人は誰もいませんでした。アセンブリ言語の一番難しいのはアルゴリズムでもなんでもなくてリトルエンディアンの上位と下位の交換し忘れが95%をしめるという結果に。暴走頻繁にしてましたよね。だからこそ机上や頭の中だけでコードを読むのが大事だったり。テキストエディタもありませんでしたしね。セーブ用のカセットテープ代だけでお小遣いが消えるのでお金ないし。



という話はおいといて、ここから本題。前置き長すぎ。


年齢や性別、役職などそういったものをすべてとりはらった活動が出来るのはやっぱりいいですね。それこそが最大のネットの魅力かなと。政治も投票には匿名性もたせて政党廃止にすれば面白いのに。単純に人で選ばれるようになりますから。


当時の情報のインプットは圧倒的に書籍。さらにいうなら雑誌に勢いがあった。でも、ネットのような双方向性はないのでそれが全ての情報源。PC自体が今みたいにメジャーではないこと、PCユーザーであっても同じ機種とは限らないことを考えると技術的話題は人に聞けるような状況ではなかった。もう雑誌が世界のすべてであるかのような。ほんの一部の金持ちのユーザーはパソコン通信で双方向のやりとりがあったようですが、1200bpsとかの時代だとまず普通の人は無理でした。


でも、そんなPCもってること=変人という状況でもPC触ろうとしたという時点で、多少の苦労はぜんぜん気にしてなかったと思う。むしろ、PCを触ってない人たちに対して、こんな面白いオモチャがあるのをしらないなんてかわいそうといわんばかりのパワーがあったかな。

今の情報のインプットの中心はインターネット。そしてその先に人がいるというのもポイント。つまり、聞くことが出来るんですね。また、情報の量はとんでもなく、探し出すことさえできればいくらでも…


と思っていた時期が自分にもありました。


実際のところないものばかりなんですね。手に入るのはオープンソース系の話題のみ。それが悪いとはいいませんけど、情報の偏りが激しい気がします。また、自分で選択して情報を入手するということは1点に関して深く探すことは出来ても、興味のない分野には手を出しにくいものです。金を出して購入した雑誌の場合すぐに興味がなくても斜め読みをしたりそのうち後から読み直して視野が広がるということはよくありました。

ネットの常時接続環境って月々5000円くらいかかってますよね。これって雑誌10冊かえる計算ですよね。それだけの情報を毎月仕入れているか…と考えると意外とはてなマークがついたり。ネットのない生活に戻る気はありませんけど、パソコン通信時代に比べて充実しているかときかれると必ずしもはいと言えないのがつらいところ。


でも、アウトプットはすごい楽になりましたね。昔は雑誌の投稿しかなかったわけで。パソコン通信が普及したときは多少のアップはあっても1から自分専用の入り口を用意することはなかったわけで。